
グランプリ
2010年 第68回 モナコグランプリ
5月20日(木曜日)− 5月23日(日曜日)決戦
第7回 モナコ歴史的グランプリ
5月8日(土曜日)− 5月9日(日曜日)
モナコグランプリについて興味のある方の投稿を募集しています。 またグランプリのチケット、ホテル手配などしている知り合いもご紹介できます。
◆モナコグランプリ勝者
2008年5月25日 76周 |
ハミルトン | マクラーレン・ メルセデス |
2時間42秒742 |
2007年5月27日 78周 |
アロンゾ | ヴォダフォン・マクラーレン・メルセデス | 1時間40分29秒329 |
2006年5月28日 78周 |
アロンゾ | ルノー F1 | 1時間43分43秒116 |
2005年5月22日 78周 |
ライコネン | ウエスト・マクラーレン・メルセデス | 1時間45分15秒556 |
2004年5月23日 77周 |
ヤルノ・トゥルリ | ルノー | 1時間45分46秒601 |
2003年6月1日 78周 |
モントーヤ | BMW・ウィリアムF1チーム | 1時間42分19秒010 |
2002年5月26日 78周 |
ダヴィッド・クルタード | マクラーレン・メルセデス | 1時間45分39秒055 |
2001年5月27日 78周 |
ミカエル・シュマッハ | フェッラリ | 1時間47分22秒561 |
2000年6月4日 78周 |
ダヴィッド・クルタード | マクラーレン・メルセデス | 1時間49分28秒213 |
1999年5月16日 78周 |
ミカエル・シュマッハ | フェッラリ | 1時間49分31秒812 |
1998年5月23日 78周 |
ミカ・ハッキネン | マクラーレン・メルセデス | 1時間51分23秒5595 |
1997年5月11日 78周 |
ミカエル・シュマッハ | フェッラリ | 2時間5秒654 |
1996年5月19日 78周 |
オリヴィエ・パニス | オリヴィエ・パニス | 2時間45秒629 |
1995年5月28日 78周 |
ミカエル・シュマッハ | ベネトン・フォード | 1時間53分11秒258 |
◆この世の奇跡、F1モナコGP
奇跡に立ち会える時、我々は底知れぬ感動をし涙さえ浮かべる。 F1モナコグランプリとはまさにこの世の奇跡である。
F1のエンジン音は空気を突き動かし、切り裂きながら、そこにいる者の体を共鳴させるようだ。このF1サウンドがどんな音楽にも奏でる事ができないこの世の奇跡の音でもある。
想像して欲しい。246(青山通り)を時速300km/hで走り、交差点を150km/hで曲がって行く事を。F1マシンが100%の力で走り抜けるというのは、我々の常識全てを覆してくれる。
ここモナコ(モンテカルロ市街地サーキット)ではF1パイロットは1/1000秒を賭け、時速280kmの世界に身を委ねる為、その心拍数は200近くに達する。 彼らとそのマシンを、ある者は熱狂的に、あるものは静かにただ固唾を飲みながら、 ある者はよく冷えた シャンパンを飲みながら見つめる。 美しい街の中によく鍛えられ、飢えた獰猛な肉食獣が解き放たれている瞬間を。
魂の叫び、圧倒的スピード、そして血の香り。 この国の国王は3日間だけそのエネルギーを受け入れ、勝者を祝福する事に決めた。 以来、モナコには奇跡が毎年降り注ぐ。
◆モナコでF1パイロット達が見ている世界
F1モナコGPはルマン、インディー500と並び世界3大レースの一つと言われ、 F1モナコでの勝利は他の勝利の3倍以上の価値があると言われている。
それは勿論、ヨーロッパの伝統による所も大きいのだが、ここモナコはその難度にお いて 世界最高クラスでもあるのだ。非常にコース幅が狭く曲がりくねったコースである上に、一般道路をコースに使っている為、路面が荒れている。又、通常のサーキットでは 安全対策のためにオーバーラン用のエスケープゾーンが設けられているが、ここモナコではどんなコーナーも分厚い鉄のガードレールで囲まれているだけなのだ。
つまりミスをするとガードレールの餌食になる。少し、わき道にそれるが、F1マシンの全高は95cm程でドライバーの目線は、 お尻をつけずにしゃがんでいる位の感覚だろうか。そのような低い目線で、時速300km/h近いスピードを操り、鉄のガードレールすれすれに走り抜けて行く。 F1パイロットはレース中この街の美しい光景は目に入らず、迫り来る分厚いガードレール しか見えないと言う。
モナコはレース中のオーバーテイク(追い抜き)が非常に難しい。したがってスタート順位 を 決める予選が勝つための最も重要なポイントになる。
本当はモナコGPは予選こそにその醍醐味がある。
一周3.32km。今年のPPタイムはJ.モントーヤで1分16秒676、2位 は D.クルサードの1分17秒068で遅れること0.392秒。3.3km走って 0.392秒しか差がないわけだが、この約0.4秒というのはどういう差なのであろうか。

モナコGPは非常に低速なコースであるため各マシンの性能より、ドライバーの能力 つまりコーナーリングの技術がタイム差となって表れる。 コーナー数はここモナコでは14(*注)、その14のコーナーで0.4秒の差を縮る為に ワンコーナーで100分の3秒のマージンを稼がなければならない。
150km/hで直角に曲がりながら、 タイヤとガードレールの距離を1mm単位でコントロールできなければならない、という事なのだ。 コースの安全を管理するマーシャル達の発言によると、故アイルトン・セナはある コーナーリングの際、 明らかに他の選手と異なる音を発していたらしい。それは「チーン」という金属音で、後で調べた所、 セナのタイヤホイールとガードレールが微かに擦っていたのだという。セナは1mm 以下まで見えていたようだ。 セナは脅威的な予選での集中力を発揮していたに違いない。いやそこまでの能力のある者だけが、 モナコGPでの勝利が与えられるのであろう。
(*注・・・大小のコーナーがあり、タイムに関係のあるコーナーを14と表記した)
◆モナコマイスターの伝承
難関のモナコを得意とし、マイスターと呼ばれた男が3人いる。 G・ヒル5勝、A・セナ6勝、Mシューマッハー5勝。 モナコの勝利の女神は「特別な王者」にのみ微笑むようだ。
ヒルは1963〜1969の7年間で5勝をあげ圧倒的な強さを誇った。
セナはモナコで数々の伝説を生み、モナコのような繊細さを要するドライビングはセナの最も得意とするところだった。
ラッツェンバーガー、そしてセナの命も奪ってしまった1994年サンマリノGP。 悲しみ覚めやらぬうちに翌レースはここモナコで行われた。 F1の安全神話が崩れ、レースとはあらためて死と背中あわせである事を切実に物語ってしまった中で、ドライバー達は自らのF1の意味をあらためて問いただしていた。
暗い空気に包まれたモナコでミヒャエル・シューマッハーはただ一人、別 次元の走りを 見せてくれた。それは悲しみを追い払う鬼神のようであり、レースの神がのり移った かのような奇跡の走りがそこにあった。1994年、モナコGP、予選ポールタイムは1 分18秒566、 2位のハッキネンに1秒近くの差をつけ、それまでのコースレコード(1992年、 N・マンセルの1'19"495)を 1秒近く塗り替えた。セナ亡き後、F1の王位 を継承するものはシューマッハーであると誰もがそう思った。 同時にどんなにシューマッハーが素晴らしい記録を残したとしても人々はこう思う 「セナが生きていれば・・・」と。 セナが生きていればシューマッハーは勝てないだろうとジャーナリストやF1ファン は声なき声を発していたはずだ。 シューマッハーは真の敵は、天国にいるアイルトン・セナになってしまったのだ。その戦いは1994年モナコGPから幕を切る。1分18秒566、それはシューマッハーが天に向けたたき出したタイム だった (このタイムは2001年まで破られる事がないという驚異のレコードである)。
2002年、一人の若武者がセナとシューマッハーに驚愕のタイムを突きつけた。 J.モントーヤ、1分16秒676。スピードは進化し続け、歴史は常に塗り替えられるのだ。
ようこそF1モナコグランプリへ。 ようこそFormula-1 World championshipヘ。
k-Harikae TOKYO/JAPAN
◆モナコF1グランプリへの行き方
2003年モナコグランプリ報告
2003年のモナコグランプリの日程は、 5月29日 − 6月1日 (決戦 )です。
2003年のホテルの状況は、すでに大きな所は満室で、予約を受け付けてくれませ ん。
今 入っている予約も客の都合でキャンセルが出る事がありますが、キャンセル 空きをねらうなら、2月から3月頃が最適です。
観戦のチケットは、昨年に続いて、比較的取り易いようです。
しかし カジノ前の席は、早くから売り切れてしまいます。 残っているのは、港の横の席数の多い場所です。

プライヴェートのアパートのテラスも、この時期だけは一般 の人が 入って観戦できるよう、シャンペンを用意しているところもあります。
固い椅子に座っての観戦でなく、普通のアパートのテラスで、 冷えたシャンペンを飲んでつまみを食べながら観戦することができます。
観戦のチケットを買ってというと、なかなかたいへんですが、 モナコの港に停泊する船に泊まって、そこから観戦する方法も有ります。 宿泊費と、観戦チケットの合計を考えるとお得ですし、船の宿泊も乙なものです。

これらグランプリに関する手配を一手に引き受けているモナコの会社があります。希望の方に紹介いたします。
2002年モナコグランプリ
世界的に有名なモナコグランプリ。決戦は日曜日にありますが、その週の木曜日からモナコの町にはエンジンの音が鳴り響き、交通 も遮断されて試験走行や予選が始まっています。
毎年、キリスト昇天祭で休みの日が続く時に開催されるのですが、今年はなぜか2週間遅れて、普通 の週に開催されました。そのせいかどうか、今年の観客は例年よりずっと少なく、木曜の観客は去年の半分以下、土曜日は3分の2、決戦の日曜日にも2001年の観客数16275人に比べて、2002年は10489人にとどまりました。(35% マイナス)
普通の年には、チケット売り場の前にはチケットを求める客が列を作って並んでいて、それをねらってダフ屋が法外な値段でチケットを売りつけるのですが、今年に限って言えば、チケット売り場の前に列を作っているのはダフ屋の方で、公式のチケットさえ売り切れず、たまに来るチケットを買う客に、ダフ屋は本来の値段より半額くらいで手持ちのチケットを売り払っていました。
観客が減った理由は、
昇天祭の休みの週でなかったので、近隣のイタリア、ドイツからの観客が来なかった
チケットが高くなり過ぎて 客離れがおこった
アパートのテラスから見る観客の数が新しい法律で制限された
などが考えられます。

今年のチケットの値段は、一番安い席、 一番高い席 の順で
木曜日 40ユーロ、 65ユーロダフ屋が売っていたのは、一番高い席が多かったものの、この金額の半額くらいです。
土曜日 75ユーロ、 200ユーロ
日曜日 150ユーロ、 400ユーロ
(金曜日は全席無料 )
また数年前ならタダで入ってみられた王宮のある岩山の斜面 も、最近は有料になって、今年は、決戦の日の値段は50ユーロでした。
グランプリのチケットを買うのは、モナコのオートモビルクラブに申し込めば、希望の場所になるかどうかは別 ですが、日本からでも簡単にできます。毎年、1月か2月ころにチケットの販売が開始されるので、申し込み用紙に希望の席とその金額の支払いをカードでするよう記入すれば良いのです。後はチケットが書留めで送られてきます。
モナコオートモビルクラブ TEL 9315 2600 FAX 9325 8008
この時期のモナコのホテルは一週間単位の宿泊になります。 3,4泊しかしない人でも、一週間分の料金を取られます。その料金の高いことは、唖然とするくらいです。
ホテルの予約は、一,二年前にすれば取れると思われていますが、ホテルによっては、得意客や、コネのある客にしか部屋を売らないので、来年、再来年のグランプリを予約したいといってもできません。
ホテルドパリやエルミタージュ、ヘアピンカーブのホテル、モンテカルログランドホテルなどです。これらのホテルへ泊まろうと思ったら、これらホテルと普段から懇意にしているか、部屋を押さえているエージェントから法外に高い値段で買い取るしかありません。原価 数十万円の部屋が、数百万円まで高騰します。
日本からモナコのホテル付きの旅行を旅行会社で手配する場合は除いて、個人でくるなら、ホテルは、ニースやマントンのホテルの方が取り易くなっています。
特にモナコのホテルにこだわる希望がないかぎり、ニース、マントンにホテルを取って、電車を利用してモナコにくる方法が便利です。
車で移動しようとしても、この時期のモナコにいたる道は、ヨーロッパ中から押し寄せた車で、身動きの取れない状態になります。
グランプリのコースに面したアパートでは、そのアパートの人が、金を取ってテラスに人を呼んでいました。人によってはその時の収入で年間の家賃を払っていました。
今まではテラスで見る人の数に制限がなかったのですが、安全の理由で制限が設けられました。
コースに面したあちこちのレストランなども、グランプリメニューを作って、観戦しながら食事をする事ができます。値段は場所によって違いますが、だいたい 5、6万円です。ホテルドパリのテラスでも昼食ができます。白いテーブルクロスをひいた食卓の、ほんの数メートル先を車がすっとばしていくのです。
レースが終わると、宴の後、コースにおちたタイヤのかけらを拾っている人もいます。
夜はガラパーティがスポーティングであります。その日に優勝したドライヴァーなども招かれ、 うまくするとドライヴァーと一緒の写真も撮れます。僕は、今は亡きセナが優勝した時に、握手をして一緒に写真を撮りました。またレニエ大公もパーティに来ます。 レースに酔った人たちは、明け方まで踊ったり飲んだりするのです。
第3回 グランプリ イストリック 歴史的グランプリ
今年のF1グランプリに先立って、6月18日19日と、かつてグランプリを戦ってきたクラシックのレースカーによるレースが行われました。 これはグリマルディ家統治700年を記念して始められたものです。

1934年以前の2席のグランプリ車の7クラスに分かれて25台ずつが競います。
1952年以前の1席のグランプリ車
1959年以前のスポーツ車
1961年以前のグランプリ車
フォミュル ジュニア
1966年以前の後部エンジングランプリ車
1979年以前のF1 1−3リットル 車
一台が数千万円もするような車が、目白押しに並んで走るのですから、クラシックカーの好きな人にはたまらなく魅力のあるレースです。