1)概要   2)体制  3)大公一家  4)面積   5)住民   6)言葉  
7)通貨   8)電話   9)ヴィザ   10)歴史   11)警察


概要

モナコは、南フランスの地中海に面したイタリアとの国境に程近い場所にあります。

周りは全部フランスで、一時期 フランスとの関係が緊張した時に、フランスに国境に検問所を設けるぞと脅されて、モナコが折れてしまった経緯があります。よっていまでも国境に検問所はなく、一本の裏道の真ん中がフランスとモナコの国境だったりします。よって人々の意識では、違う国なのに国境が見えない、フランスの一部のようで違う国、次元をスリップしてしまったような異国なのです。

地中海に面して、美しい風景があり、おいしい食材が手に入ります。

地の利が良く、空の便は ニース国際空港までヘリコプターで7分 と非常に便利です。
マルセーユ、カンヌ、ニースからイタリアまで抜ける高速道路も通っており、イタリアの国境まで車で約15分です。ミラノまで300Km、スイスのルガノまで350Kmの距離です。
船の発着も モンテカルロ港 とフォンヴィエイユ港などがあり、クルーズの大型船も着いています。
ミクロクリマと呼ばれる、穏やかな微小気候にめぐまれ、冬でも雪はめったにふらない暖かさです。年間の日照は300日、降雨量は1998年が542mm、2000年が1115mm。

非常に手入れが行き届いていて、道路にゴミは落ちていないし、公園の噴水はいつも水を噴き上げ、花壇には季節の花がいつも咲き乱れている国。すべては整然と整理されて人の手が感じさせられる国。モナコで唯一海水浴のできるラルヴォット海岸でさえ人口的に作られた海岸です。人によっては、あまりに手入れが行き届いているので、町としての魅力がないと言います。

モナコの国のイメージとして一番に浮かんでくるのは、<グランプリ>、<グレースケリー><億万長者><安全><税金が安い> などです。モナコは金持ちの為の国です。 金に匂いはない、と言いますが、どのような仕事であれ金持ちになった人達に、住みやすいように作った国、それがモナコです。
金さえ出せば、なんでも揃う国。金持ちのこうであったらという夢を実現したのがモナコの国ではないでしょうか。アパートが高い、ホテルが高いのは、それを払えるお客さんにだけ来てもらえば良いというメッセージなのです。

金持ちは当然安全を求めます。 金銀をピカピカさせながら、ロールスやフェラリを乗りまわせるのも、女性が宝石をつけて夜でも歩いていられるのも、安全という前提があるからです。泥棒や人の目を気にせずに思う存分金持ちぶりを見せる事ができるのは、モナコならではの話です。
もしこれが一歩入って フランスのニースやカンヌだったら、車のイタズラに盗難、スリに引ったくりなどで、とても安心していられません。

税金について言えば、リヒテンシュタインは税金天国として知られていますが、冬は寒くて山しかないような場所に住むのは多分苦痛でしょうし、またカリブ海の離島に一人でいても、孤独が好きな人でないとつまらないでしょう。

やはり、移動に便利、安全で生活の質が高いモナコでなければ、という人たちは、世界中のモナコ居住希望者、観光客も含めて、モナコに一目置いています。

国民の性格として、フランス人について言えることは、 経済観念が発達していて、器用、個人主義でエスプリがきいている。言い方を変えれば、ケチで小賢しくて、わがままで意地悪、とも言えます。

南フランスではそれに、おおらかで細かい事にこだわらない、 つまり、言う事は大きくて約束を守らない、という性格が加わります。
モナコの住民について言えば、以上のフランスの地域的な性格に加えて、桁違いの金持ちと、世界中から集まった税金を払いたくない人達の性格が加わります。
モナコに住む人たち、と言っても、元々のモナコ国籍の人は全体の20%ほどしかおらず、80%は別の国籍でモナコの滞在許可を取って住んでいる外国人です。
モナコに住む人たちは、周囲のフランス住民からは煙たがられているようです。
あるモナコ人の知り合いは、フランス人はモナコ人に嫉妬していると言っていました。

国の産業は、かつてカジノの国だったモナコから、観光立国モナコに変わり、そしてさらに産業を育成するのが国策になっています。銀行や公害のない産業、付加価値の高い商品作り、イメージの良い化粧品や薬品などの勧業に力をいれています。

教育についても、かなり上質の教育体制ができています。フランスで問題になっているような学校の暴力などはなく、わざわざモナコの幼稚園や小学校に行くためにフランスからモナコに引っ越してくる家族も居るほどです。大学は、ビジネスのモナコ大学がありますが、普通の経済、法律、文学、医学などを専攻する大学はありません。

また病院 の体制もしっかりしており、グレースケリー病院には1674人の従業員、184人の医者がいます。 また『百万ドルを取り返せ』でご存知の通り、世界的にも最高の水準の心臓病の病院があります。

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体制は立憲君主制

1911年以来、立憲君主制です。現在の君主は、2005年4月6日に亡くなったレニエ3世の息子、アルベール2世です。
国民議会は18人の議員がいて、任期は5年です。モナコ議会は年に2回の通常会期があります。 君主は国民議会の解散を宣言できます。

憲法の改正には、君主と国民議会の同意が必要です。
立方提案権は君主、法律の制定権は国民議会にあります。

君主は行政権の首長でもあります。
裁判所の判決は君主の名において行われます。
恩赦や国籍の付与、勲章の授与なども君主の一存です。
このように大公は大きな権力を持っています。

また 戦後、 カジノの利益もオナシスが取っていた破産寸前のモナコの国を、現在のように世界中の話題になるようなモナコのイメージ作りに成功したは、先の大公レニエ3世です。
大公の財産は、ロカマール、ロックフルリ、ベルエポックなどと言う名前のモナコにある高級アパート、フランスにあるエーヌのお城と狩猟のための森、SBMの株3% 、世界的にも2番か3番目に重要な切手のコレクション、非常に珍しい車のコレクション(車博物館になっている) などなど・・・。
ある雑誌の推定では、レニエ前大公の財産は 十数億ユーロ(2000億円くらい? ) といわれていました。モナコの年間予算のうち、約半分は大公の個人的出費だとのこと。

現アルベール大公については、毎年の始めに、新聞や雑誌が、今年はアルベールが結婚するかと話題になっていましたが、2011年7月1日に南アフリカの水泳選手だったシャルレーヌと結婚しました。エアフランスのスチュワーデスとの間に、公の子供が一人。
最近もアメリカ人女性との間にも隠し子がいるのが発覚し、ニュースになりました。愛情の多い大公です。

モナコの大公は世襲製ですが、もし将来モナコに男の跡継ぎがいなくなっても、数年前のフランスーモナコ協定で、第二子でも跡継ぎできると変更され、今後モナコの将来は安泰、といわれています。

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大公一家

グレース・ケリー

言うまでもなく、現大公アルベール2世の母親はグレースケリーです。
1929年11月12日、アメリカで生まれました。映画祭のためにカンヌに来ていたグレースケリーは、週刊誌<パリマッチ>のセッティングでモナコ大公・レニエ3世と会います。
翌1955年に結婚。プリンセスストーリーとして世界中に有名になり、倒産の危機に瀕していたモナコ公国にアメリカ人観光客が押し寄せるようになりました。
1982年9月14日チュルビの別荘からモナコへの帰り道、山の急カーブで自動車事故にあい他界しました。グレースケリーはボクの母親と同じ年でしたが、ボクの母親は健在です。少し前の年代の人にとっては、いまだにモナコといえば<グレースケリー>です。2007年にグレースケリー展が日本で開催され好評を博しました。

 

レニエ3世

先のモナコ大公、レニエIII は1923年5月31日生まれ。第2次世界大戦にはフランス軍として従軍、大佐まで昇進しました。艶福に恵まれた人で、映画女優ジゼルパスカルと交際していましたが、グレースケリーと結婚、3人の子供を設けました。
モナコの国を建て直し、さまざま国おこしに成功しました。車好きでコレクションは車博物館として公開されています。
2004年4月6日、81歳のときに肺感染症のため鬼籍に入りました。



 

アルベール2世大公  アレキサンドロ・ルイ・フィリップ

  1958年 3月14日 生まれ
    2011年7月3日結婚 

アルベール大公はスポーツが好きで、ボブスレーの選手として長野オリンピックにも来ています。モナコ水泳連盟・モナコ陸上競技連盟・モナコヨットクラブの代表、ヨーロッパ小国オリンピックの名誉代表などを務めています。2011年7月に結婚した相手も南アフリカからモナコを訪れた水泳選手でした。
アルベール基金もあり、環境や人権の問題に積極的に取り組み、2009年南極への2回目の遠征などしています。


 

 

 

 

シャルレーヌ リネット ウィトストック

1978年1月25日生まれ
ドイツ系イギリス系移民の系統で、現在のジンバブエに生まれました。
水泳の選手でモナコを訪れ、2006年から交際していたアルベール大公と、
2011年7月1日に結婚しました。

 

 

 

キャロリーヌ ルイーズ・マルゲリート

   1957年  1月23日 生まれ
  子供  アンドレア  1984年 6月8日 生まれ
      シャルロット 1986年 8月3日 生まれ

      アレクサンドラ 1999年 7月20日生まれ


 

 

 

 

 

ステファニー マリー・エリザベス
 

  1965年 2月1日 生まれ
   子供   ルイ    1992年 11月26日生まれ
        ポーリンヌ 1994年 5月4日 生まれ
        カミーユ  1998年 7月生まれ

 

 

 

 

面積

面積 197ヘクタール
長さ 3180m
幅 1100m
標高差 162m

歴史的に一時は現在のイタリア、フランス領に食い込む今より大きな国だったのが、現在の国の面 積は 約197ヘクタールそのうち5分の1以上が緑地です。
ヴァチカン市国の次に、世界で2番目に小さい国です。
海に突き出した崖の岩山に要塞があった場所から始まった国で、その両側の、山が海に迫った細長い場所がモナコ国です。

その小ささは、フランス領のボーソレイユ村(美しい太陽という意味)から、 カジノの横をぬけて海に出るまで、モナコを縦断するのに、歩いて5分もかからないほどです。 東西も、フランス領のカップダイユからカップマルタンの方までモナコを横断するのに、 歩いて40分ほどです。山が海に迫っているので、東西に走る道が多く、南北の道は傾斜がきつくなっています。所々に公共のエレベータがあって、それをうまく使えば、徒歩で歩くのも苦になりません。

とにかく国が狭いので、モナコは国土を有効に使うことに頭を使っています。
フォンヴィエイユ地区はかつて海だったところを埋め立てた土地です。大型スーパーのカルフールを始め、マクドナルドもある ショッピングセンターもあり、アパート群のほかローズ公園、ヘリポート、スタジアム、催し物会場などになっています。
最近では、モナコを横断していたフランス国有鉄道の線路をすべてトンネルにして、駅さえも地下に移してしまいました。これによって新たに使用可能な土地は、4ヘクタール増えました。
グリマルディフォーラムという、 4000m2の展示場2つ、コンサートホールなどを含む一大施設が、プリンセス21という超高級アパートの前の海を埋め立てて、2000年6月にできています。海底の冷たい海水を利用した冷房施設など画期的な設備が揃っています。

今後、モンテカルロ港に突き出した突堤の上に高級アパートを作るという計画や、新たな20万平方メートルのフォンヴィエイユの先の海の埋め立て計画もあります。

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住民

過去35年に50%の人口増加がありました。 2000年の統計で、人口は32020人。 モナコ人は6089人。フランス人10229人。イタリア人6410人。イギリス人1703人。アメリカ人392人。ベルギー人788人など

ここ何年かで日本人の数もかなり増えました。想像では7−80人くらいではないかと思います。 僕が初めてモナコに住み始めた頃 (1989年)、モナコの日本人と言えば、ドイツ人の未亡人から数億円をだましとった世界的に有名な日本人詐欺師 Y氏のことでした

モナコの外人の居住者は通常、一年のうち半年以上モナコに住んでいなければならないのですが、住所だけモナコにおいて、実際はイタリアや国外に住んでいる人もかなりの数になると思われます。夕飯時に電灯の灯っているアパートは、建物を外から見ると4分の1 ほどもありません。シャッターを年中閉めたままのアパートもかなりあります。
うちの隣のアパートにはイタリアのクネオに住むイタリア人が、月に一度 週末に来るだけですし、上の階、下の階ともに年中人がいないらしく、物音一つしませんし、シャッターも閉まったままです。

金持ちは、そこに住んでいると見せかける為に、電灯を点けたりするのに人を雇ったりもしているとか。 実際のモナコの人口は、私の想像では、統計の数字の半分程度ではないかと思います。
モナコの警察はそうした偽モナコ居住者を取り締まっており、近辺のフランス領で朝晩止っているモナコナンバーの車をチェックしているという話です。また居住許可証の更新には電気代の請求書を提出させられます。この条件を満たさない者は、居住許可を取り消されます。

モナコ国籍のある人、あるいは政府関係者などは、モナコ国内または、フランス領土にある、モナコ国有の500にのぼる高級で快適なアパートに格安で住む事ができます(1235の法律) 。 グレースケリーが、フランス領の山道で自動車事故で亡くなった時に、突っ込んだのがモナコの公務員の家だったのも、こういう家だったのでしょう。
外人居住者は高い家賃のモナコ内に住まなければなりません。

モナコ国籍を持つモナコ人はモナコの国から、住居手当て、仕事紹介、商業補助まで 手取り足取りの保護を受けていて、それだけでも一生安泰、大変なメリットです。モナコ人になるのはかなり難しくて、モナコで生まれただけでは国籍は取れません。うちの子供は2人ともモナコのグレースケリー病院で産まれましたが、両親が二人とも日本人なので、顔つきも国籍も日本人です。
日本人のあなたがモナコ人になろうと思うなら、一番手っ取り早いのはモナコ人の男と結婚することでしょう。(結婚して5年後にモナコ人になる事ができます。)

モナコ人ではないのにモナコ人といつわる<ニセモナコ人>もかなり いて、女の子にはもてるでしょうが、詐欺師 なので注意が必要です。もし<私はモナコ人> という人がいたら、その人にモナコのパスポートを見せてもらいましょう。パスポートがあれば本物です。

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言葉

フランス語が公用語で、モナコ中どこに行っても通じます。周りが全部フランスに囲まれているので、当然といえば当然の話です。
イタリア人が多いので、イタリア語もだいたい同様に通じます。モンテカルロという地名は、イタリア語でカルロ山 という意味ですし、 王子のグリマルディ家も、元は現在のフランス国境に近いイタリア側の出身といいます。イタリアとの縁は切っても切れない関係にあります。

モナコの郵便局でみかけた風景で、フランス語の分からないイタリア人が、郵便局員がフランス語しか分からないのに腹をたてて、ここをどこだと思っているのだ! とイタリア語で罵倒しながら去っていきました。
観光で食っている国なので、英語も通じます。ホテル、その他観光客が行くようなところでは英語が通じます。

モナコ語もありますが、実際の生活では聞く機会がありません。 フランス語とイタリア語の中間のような言葉です。モナコの学校ではモナコの歴史とともにモナコ語を教えています。

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通貨

以前はフランスフランをそのまま使用していましたが、ユーロになってからは、もちろん通 貨はユーロです。 モナコで発行されたフラン硬貨ユーロ硬貨もあって、それを集めているコレクターもいます。 モナコ発行のユーロは、コレクターが買い占めて発見不可能です。
モナコの切手、古銭などを扱っている店に行けば、モナコ発行の古銭もいろいろ売られています。

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電話

モナコの国番号は 377 です。 数年前まではフランスの国番号で、フランスの一地方のような扱いでしたが、日本は81、モナコは377のように、現在は一国としての国番号があります。
モナコの電話局 モナコテレコム はインターネットなどの最新分野でもがんばっています。 日本からモナコに電話する時には、国際電話 001 377 9xxxx
フランスからでは、すぐ10m先のモナコの相手に電話するとしても、 00 377 9xxxx
といった国際電話の番号になります。 モナコから日本にかけるときには、 0081(0)の0を取った電話番号 となります。

緊急時のモナコ国内の電話は 警察が 17 、 消防署が 18 など。

モナコの町なかにある公衆電話は、専用のテレホンカードが必要です。数年前までフランスのテレホンカードがそのまま使用できていましたが、システムが変わって、いまはモナコ専用のテレホンカードでなければ電話できません。タバコ屋、郵便局などで買えます。値段は15.4 ユーロ。
カードを入れた後、アナウンスにしたがって 2 を押して、それから相手先の番号を押すなど、初めて使う人や、フランス語の分からない人には使いにくいかもしれません。
このテレフォンカードは、留守番電話機能がついていたり、度数がなくなると度数のみを買い足す事ができるなど、他の国にあるテレフォンカードに比べて、かなり勝手が違います。

ポータブル電話の貸し出しサーヴィスがあります。日本から借りてくることもできますし、ニースの空港で借りることも、モナコまで来て借りることもできます。

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ヴィザ

モナコの観光旅行でしたら、あと6カ月有効なパスポートがあればヴィザは必要ありません。
モナコに住もうと思ったら、東京なら広尾のフランス領事館に行って、フランスのヴィザを取り、その後でモナコの警察で切り替えることになります。

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歴史

1997年はモナコ公国のグリマルディ家統治700年を記念する行事がおこなわれました。 モナコはちょっと想像するより古い国なのです。

1295年 イタリアの内戦、 ゲルフ党とギベリン党の抗争のなか、 グリマルディ家の敵ギベリン党は、モナコロッシェ(現在王宮のあるところ)を占領しました。

1297年 1月8日、修道僧に変装して敵を油断させたフランソワ マリツァ グリマルディが 敵地の要塞に浸入しました。これが現公国の始まりとされています。
剣をふりかざした修道僧に変装したその姿は、いまでも市内を走るバスに大きな 紋章として残っています。敵に塩.を送ったり、正々堂々と戦うのをよしとする国民 からみれば、なんと卑怯なと思われますが、殺すか殺されるかの凄惨なヨーロッパの歴史のなかでは、生き残る事にすべての価値があるのです。

1489年 大国フランスのシャルル8世と、地元サヴォア地方の公爵がモナコの独立を認めました。

1612年 モナコ君主 オノレ2世が 大公(プリンス)の称号を得ました。

1793年 フランス革命の余波で、人民軍によりモナコの王宮は占領され、 大公一家は囚われの身となり、独立は中断されます。

1814年 会議は踊る、されど進まず の ウィーン会議で、 旧王朝の復権がなされ、モナコ公国もサルジニア王国の 保護領として復活しました。

1860年 サルジニアがイタリアに統合されました。 マントンとロックブリュンをフランスに譲り渡すのを条件に、 モナコは独立を獲得しました。

1861年 モナコに初めてのカジノができました。

1866年 スペリュグ台地が モンテカルロと命名されました。

1869年 モナコ住民は不動産、動産、個人を対象とした税金を免除されるようになりました。

1911年 モナコ憲法を制定

1923年 レニエ3世 現大公 5月31日 誕生、 2002年現在79歳

1929年 第一回 モナコグランプリ 開催

1941−44 年 ドイツのフランス占領中は、イタリアに近かったため独立は保たれています。 (日独 伊 同盟なので、モナコは日本に近かったと言えます。)

1956年 レニエ大公 グレース ケリーと結婚

1963年 フランスとの税務協定。 これ以降モナコに住むフランス人は税金を払う様になりました。

1982年 グレースケリーが自動車事故で死去しました。

1997年 グリマルディ家 統治700年

2002年 第60回 モナコグランプリ 開催

2005年レニエ3世死去、現アルベール2世大公

2011年7月1日 アルベール大公、シャルレーヌと結婚する

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警察 モナコは安全?

モナコは安全なことで知られていますが、それは500人にのぼる警察官や、国中至る所に設置されたカメラなどに象徴されています。 国内の安全だけでなく、モナコにはインターポールの事務所が置かれていて、国際的な犯罪の取り締まりにも尽力しています。

モナコのフランスとの国境には常時警官がいますし、交差点や町のポイントポイントに警官が見張っています。何をしたわけでもないのに、国の入り口、あるいは町中で止められて検問を受けている外国ナンバーの車を毎日見ます。

道路の横断歩道で歩行者が渡ろうとしている時には、車は停止して道を譲らなければなりません。これはフランスの道路法規でも同じ事なのですが、フランスでは車が優先状態です。
モナコで、横断歩道を渡ろうとしている歩行者を無視して車が通ると、すかさず警官が来て罰金です。慣れないフランスナンバーの車がよく捕まっています。
ホテルに泊まる時には必ずパスポートを要求され、泊まり客のリストは毎日警察に渡っています。ある知り合いのイタリア人が、夜中部屋で寝ていたら、突然警官が入ってきて有無を言わせず警察署に引っ張られて、よくよく聞いてみると、現在手配中の犯人と同姓同名の間違いだったとか。
今年のグランプリのあくる日、ロシアマフィアの資金洗浄の疑いのもたれるロシア人ビジネスマンが、モンテカルログランドホテルで捕まったのは、ほんの先月の事です。

またカメラが国中に配置されていて、エレベータの中や、ちょっとした道の曲がり角など、見上げると大体カメラがあります。公共の部分だけではなく、通 常のアパート内にも数多くのカメラが設置されています。 カメラ恐怖症の人にはお勧めできません。

いたる所に警察の目が光っています。 しかしなぜか、他の( 僕以外の )車が、警官のいる交差点で信号無視していても警官が気付かなかったりするのに、僕が、車をほんの5分、変な場所に駐車したりすると、すかさず警官が飛んできて罰金75ユーロ払わされたりします。
また一方通行を逆行してきた車に当て逃げされた事があります。たまたまそれがカメラの前だったので、警察に行って 当て逃げの車を探してくれと言いましたが、何故か、 断られました。

僕の友達が教会のミサに行ったので、だれもいない教会の中庭のベンチに横になった瞬間、警官が来て、ここは寝るところではない、と叱られました。まさか浮浪者と思われたわけではないでしょうが、この徹底ぶりには感心するばかりです。

モナコの警官は大体が大柄でスマートなハンサムが多いのですが、それもそのはず、警官採用の時に身長や体重の制限があるのです。男の警官の採用時には、身長は180cm以上無くてはならず、体重は、例えば身長が180cmの時、70Kg から80Kgまで という制限があります。
またひょっとしたら 顔の善し悪しも基準になっているのではないかと勝手に想像しています。
僕の知り合いの日本人女性は、モナコに旅行に来て、ちょっと道をたずねた警察官と結ばれて、今や人もうらやむカップフェラという超高級別 荘地のプール付き一軒家に子供と3人で幸せに暮らしています。
モナコの警官に道を聞く時には、好みの警官を探しましょう。

モナコに犯罪が無いかというと、他より少ないだけです。数年前に監視カメラのすぐ下で爆弾が爆発したり、ピアジェの宝石屋のウインドーが破られたこともあります。鍵屋に聞くと、ドアを破って泥棒が入ることもちょくちょくあるとのこと。

巨額の賄賂で問題になりながら、モナコ国籍を取って本国の警察の追求をのがれたエンリコ ブラジョッティや、モナコでの製造原価一枚5フラン(80円 ほど) の切手を 数百万フランで売っていたサコ カッチキアン、 モンテカルロ港を望む1000m2の超高級アパート(レニエ3世の所有) で、放火事件で死亡した大金持の銀行家 エドモンド サフラの例をひくまでもなく、小さな犯罪よりも、桁違いに大きな犯罪が、誰も知らないところで進行しているのではないかと、一人で想像しています。

モナコの司法官だった、今はコルシカ島のバスチアに住む、シャルル デュシェンヌ は、今年の6月28日に モナコ政府の内情を暴露する、<モナコの裁判官>と言う本を出して、モナコで問題になっています。小さな犯罪に厳しく、大きな犯罪には寛容なモナコの体質を糾弾しています。

こうした小説の舞台になるようなイメージも、モナコ政府は払拭しようとしており、2000年のフランス国会の報告書昨年フランスからマネーロンダリングで名指しで非難されたからかどうか、不正な資金の流れにはたいへん神経質になっています。またそれを取り締まる機関も新たに設けられて、モナコのイメージ刷新に努めています。モナコで不動産を買うとか、銀行に大金を預ける時などには、現金で払い込むとその金額の出所を尋ねられます。

ちなみにマネーロンダリングについて言えば、南フランス、リヴィエラは洗浄天国と新聞にでていました。その手口は現地にSCI を設立して白紙委任状を使って 高級別荘を買うのです。モナコを非難する前に、フランスも自浄する必要があるようです。

数字で言うと (統計2000 年)

警官数は 人口73人に対して一人 ( フランスでは 220人に対して一人)
1140の犯罪記録 解決率は 53.60 % (フランス では 26.75% )
60件 自動車付属品盗難

1件 引ったくり
112件 二輪車盗難
16件 自動車盗難
91件 麻薬所持
2件 麻薬密売
45件 泥棒
70件 クレジットカードの詐欺
20件 故意の傷害
385,882の検問(293,524のホテル客の確認、38,410の直接検問)
3611の車のレッカー移動

モナコのカメラの数は:
33台の遠隔操作できるズーム付きカラーテレヴィカメラ 、 公共の道路など
29台の固定式白黒 カメラ、 道路 トンネルなど
182台の固定 カラーカメラ、公共エレベーター内、駅など
その他、普通のアパートの出入り口などにも必ずといってよいほど私設のカメラがある。
そのトータル数は ?? (BEST OF MONACO 2002 より資料引用 )

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